285日目。時々不思議に思うのですが、人はなぜ「いつか自分も死ぬ」と分かっているのに、平気でズルしたり、怠けたり、嫌な仕事をダラダラ続けたり、他人を傷つけたり、嘘をついたりしてしまうのでしょう? もし自分が「明日死ぬ」と分かっていたら、絶対にしないであろう怠惰で自分勝手で不誠実なことを、明日をも知れない我が身だと知りながら、なぜボクは日々続けてしまうのだろう? 勝手な推論ですが、人間はそういうことを常に考え続けられないように作られているのかも知れません。だから、親しい人の死や、ニュースで報道される多くの訃報は、故人を悼むということ以上に、いつ終わるかわからない人生を精一杯生きろという、「メメント・モリ」なメッセージとして、真摯に受け止めなければならない、大切な機会ではないか思うのです。
人は行き、人は去る
でも君のダイアモンドは
特別だったと思う君は行ってしまう
誰にも気づかれないけど
僕にとって君は特別だったんだライオンのように走り
女神のように歩き
鷲のように弧を描く
完璧な紺碧をなぜすべては過ぎ去るのか
なぜ速度を落とさないのか
この世の終わりのような日でも
僕はまだ君を手放せないでいる寒くてどうしようもない日にも
君が残してくれた灯りがあるよ
暗闇にひとり残された時にも
君が教えてくれた気持ちがあるよ血を分けた兄弟みたいに
支え合う姉妹みたいに
あの夜に誓ったよね
僕らは死ぬまで友達だと風向きが変わり
水の流れが変わり
ひとひらの雪のような人生
君を恋しく思うだろうね
わかってる寒くてどうしようもない日にも
渦巻く水の流れの中で
君がそばにいてくれるのを感じる
どんなふうにそこにいてくれるのかも
どこにいても君がそばにいる
君が教えてくれた気持ちがあるよ
今夜は、今週若くしてご他界されたボクの友人・つよぽんに、この歌を捧げます。交わした言葉は少ないですが、彼の破顔にボクはいつも励まされていました。そのユーモラスなフォルムと、鷲の描く弧のように丸く温かい笑顔をボクは忘れません。I’m gonna miss you, I know. また会おうね。R.I.P.