278日目。今週、東京は桜が満開で、いたるところでモコモコとした綿菓子のようなチェリーブラッサムが楽しめます。一説ではソメイヨシノの寿命はおおよそ60年。東京の桜の多くが1964年の東京オリンピックに合わせて植樹されたことに鑑みると、どの桜も実は相当なご高齢で、花見を楽しむ人々のために、老骨に鞭打ちながらモコモコしているのやも知れません。そんな風に見ると、美しい花弁に隠れた枝ぶりは、まるで老人の二の腕のように細く無骨で、少し気難しくなったけど、でも変わらず懐の深い、老母の佇まいを連想させます。桜はきっと嫗なのです。
風で花びらが散って掃除が大変だよ
でも何度見ても桜は本当に綺麗だねと
おじさんがホウキ掃く手を止めて話しかけてきた
そうですねと上を見上げ僕も笑顔で答えた気難しそうと思われてたけど
今じゃ沢山の笑顔や言葉を
かけてもらえるようになったよ
今度花見にも誘われてんだよ君がいなくなってから何度目かの春
今も君の見立ててくれた心と僕は歩く
自分がいなくなっても愛されるようにと
君が見立ててくれたこの心と歩いてる服や靴や眼鏡や髪型とかじゃなくて
君が見立ててくれたのは僕の心だった
歯に衣着せぬ物言いでずけずけと言う君に
むかついたりもしたけど試す度意味がわかったふざけて頬を横に引っ張り
ほら笑ってとよく君に言われたよね
笑顔を忘れそうな時はいつも
自分で同じ事をしてるよ君がいなくなってから何度目かの春
今も君の見立ててくれた心と僕は歩く
自分がいなくなっても愛されるようにと
君が見立ててくれたこの心と歩いてる幼すぎて自分から手放した恋だった
花曇りの空の下 君の幸せをただひたすらに願う君がいなくなってから何度目かの春
今も君の見立ててくれた心と僕は歩く
君の背中を見送ったあの時と同じように
花吹雪が舞うこの並木道を歩いてる
君が見立ててくれたこの心と歩いてる
槇原敬之 a.k.a. マッキーが先月発表したニューアルバム『Lovable People』に収録されている『ミタテ』という楽曲の歌詞です。歌詞というより、品の良い小説の一節のような趣がございます。「教えてくれた」でも「育ててくれた」でもなく、「見立ててくれた」という他動詞を選んだところに、マッキーさんのキレキレのセンスを感じます。
主人公は青年で、数年前に別れた恋人のことをうたった歌だろうということは、「幼すぎて自分から手放した恋だった」という一節から察せられますが、逆にこのセンテンスがなければ、妻に先立たれた初老の男でも、死別した母を想う息子の独白でも通じる詩世界です。桜というモチーフを考えると逆にそのほうが自然で、だからこそマッキーさんはわざと恋愛の歌に「見立て」たのかも知れません。
なにはともあれ、今宵は満開の月夜でございます。これから我が家の向かいの公園で咲く嫗に会いに行ってみようと思います。今夜はボクを見立ててくれた人々を思い出してみたいと思うのです。
散る桜 残る桜も 散る桜(良寛)