263日目。先日、友人に誘われて「似顔絵教室」とやらに参加してきました。人の顔の特徴の捉え方と、それを描くときのコツを教えてもらいながら、実際に鉛筆で似顔絵を描いていくというレッスンなのですが、これがとても楽しいのです。生来絵を描くのは好きなほうでしたが、ここのところ何をするにせよコンピュータに頼ってしまい、紙と鉛筆で何かを描くという作業から長らく遠ざかっていたことを改めて実感。白い紙に鉛色の線で描き始めると、脳ミソから気持ちよくなる分泌液がジャブジャブと温泉のように涌き始め、湯気で霞んでゆくように周りの景色がスーッとフェードアウト。自分と紙と鉛筆しかない世界の中で、流れてくるのは昔に聴いたこんな歌でした。
ありあわせの白い紙に
タテに一本線を引く
上の方に 夢と書いて
線の下に 私と書いた私という字は小さく見えた
夢は遠くの遠くに見えた
どこまで どこまで歩いたら
夢と私は重なるの?定まらない長い道を
引き裂くように横の線を
強く太く ひとつ引いた
線のわきに あなたと書いたあなたを想うと心は乱れ
夢はどこかへかすんでしまう
どこまで どこまで歩いても
夢はあなたの向こう側裏返した白い紙に
タテに一本線を引く
線の下に 私と書き
線の上に あなたと書いた夢という字を忘れるならば
何の悩みもないのだけれど
どこまで どこまで歩いても
夢が向こうに見えている
1979年にリリースされた「上田知華+KARYOBIN」のファーストアルバムに収録されていた『線』というタイトルの歌です。「上田知華+KARYOBIN」は、ボーカル&ピアノの上田知華と、ヴァイオリン、チェロ、ビオラなどを組み合わせた弦楽四重奏「KARYOBIN(漢字で書くと『迦稜頻』でインドの空想の鳥なのだそう)」のピアノ・クインテット。シングル『パープル・モンスーン』等のヒットで、80年代前半に人気を博しておりました。
主人公がありあわせの白い紙に描いていくのは、似顔絵やスケッチなどではなく、バウムテストにも似た抽象的心理描写です。「私」と「夢」と「あなた」との相関図は、シンプルに見えながら組み合わせが複数あり、何を上に置くか、何を下に置くかで、意味がまったく違ってしまう概念メタファー。自分で引いた線の上に自分自身が降りてゆき、遠く果てしない道の先を望むというシュールな世界観が斬新です。
もともとこの歌は2番までの歌詞しかなく、楽曲として短すぎるので後になって3番を付け加えたのだとか。「紙を裏返す」という鮮やかな暗転が見事です。作詞は渡辺真知子の『かもめが翔んだ日』やゴダイゴの『ビューティフル・ネーム』などを手がけた、伊藤アキラ氏。
ユーミンの初期の名曲『グッドラック・アンド・グッドバイ』は、雨の日にバスの曇り窓に落書きをする楽しさをテーマにした歌なのだそうですが、歌や踊りなどと同じく、太古の昔から人間が続けてきた「描く」という表現は、ウマイヘタに関わらず、純粋に「喜び」なのだなと思うのです。自分だけのカーブやフォルムを探る行為は、目隠しをしたまま何かに触れて、それを当てるゲームにも似ています。確かに知っているはずなのに掴みきれない、もどかしくもドキドキするひとときなのです。その日ボクが描いた似顔絵も、我ながらヘッタクソだとは思うのですが、なぜか捨てられず、今も冷蔵庫の扉に貼付けたままです。