221日目。今から10年以上前の話ですが、ボクはアメリカのロサンゼルスで働いていたことがあります。本当はニューヨークに住みたくて、現地の日本語出版社に入社したつもりが、なぜか新オフィスの立ち上げスタッフとして、単身ロサンゼルスへ赴任となったのです。友人も知人もいない異国の土地にひとりぼっちで飛ばされ、ボクは相当ビビっていたと思います。唯一の頼み綱は「困ったらこの人を頼れ」と社長から渡されたメモ。そこにはロサンゼルスで印刷工場を経営している、Iさんという日本人の方の名前が書いてありました。
ボクがロサンゼルスに到着した日、空港まで迎えにきてくれたIさんは、部屋探しや中古車選び、日本人が踏み込んではいけないエリアなど、現地に住む人ならではの情報を事細かに教えてくれました。季節は早春で、街路樹には紫色の花がついていました。「ジャカランダ」というその花の名前を教えてくれたのもIさんでした。
Iさんは当時60歳くらいだったでしょうか。体が大きく、目が細く、なんとなくゾウさんを連想させる風貌で、日本人の奥様と二人でロサンゼルスに暮らしていました。新天地でうぉーさぉーするボクのことを細やかに気にかけてくれ、オフィスに差し入れをくれたり、家に招いて食事を振る舞ってくれたりと、つかず離れずの絶妙な距離でサポートしてくれました。
いつだったか、中古で購入したボクの車で、Iさんを助手席に乗せて走っていた時のこと。カーステからはボクのお気に入りソングを集めたカセットテープが流れていました。しばらく聴いていたIさんが「いいな。これはどこの放送局?」と尋ねるので、「これはラジオじゃなくてボクが作ったテープです」と答えると、「自分で作ったの?キモッ」みたいなことを言い、「本当は気に入ったクセになんでそんなこと言うんですか。あげましょうか?」「いらんわ、そんなキモイもん!」みたいなやりとりがありました。くだらない思い出の一コマですが、なぜか今でも色褪せず覚えています。その時車内でかかっていたのが「Everything But The Girl」の『Time After Time』でした。
2年ほど後、ボクは転職しロサンゼルスを離れました。Iさんにはそれ以来お会いする機会もありませんでしたが、つい先日人づてにご他界されたことを知りました。
例えばIさんの一生をゾウの体だとすれば、ボクは目をつむったまましっぽの先っちょだけを触れたことのある程度の付き合いだったと思います。でもそのしっぽの先っちょは、不安でいっぱいだった当時のボクを、フサフサと優しくなでてくれました。「Everything But The Girl」の『Time After Time』を聴くたびに、ジャカランダの花を目にするたびに、ボクはIさんのゾウさんのような風貌と、しっぽの先っちょのような優しさを思い出します。これからもずっと思い出します。合掌。