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【無人島302日目】幡野広志 『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』

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ボクはいい歳してチョンガーの一人暮らしなので、もしも何かのはずみでコロッと逝ってしまっても、直接的に(経済的とか生活的とかいう意味で)迷惑を掛けてしまう相手はおそらくいないと思います。ただ誰も後始末をしてくれないので、不意に自分がいなくなった時に、間接的にでも誰かに余計な迷惑がなるべく掛からないようにしたいなぁとは思っています。と言っても、いったい何をすればいいんでしょう? たしか向田邦子の小説か、彼女が書いたテレビドラマのワンシーンに、死を覚悟した女が、夜中に自分の下着をハサミで小さく切り刻んで捨てる、という場面がありましたが、そういうこと? もしくは、大量にある我が家のガラクタに名札をつけて、あらかじめ贈り先とメッセージを添えておくとか? 「なんかめんどくさそうだし、まだいいや」なんて思っているうちに、その日は不意に訪れるはず。めんどくさそうだからこそ、元気で体が動いているうちに、早めに片付けておくべきことかもしれません。

先月「ほぼ日刊イトイ新聞」で、糸井重里氏と写真家・幡野広志(はたの ひろし)氏のインタビュー記事が連載されておりました。ボクは幡野広志さんという写真家をそれまで存じ上げませんでしたが、その記事を読み、そこからリンクされている彼のブログを拝読し、すっかりファンになってしまいました。

幡野氏は1983年生まれ。18歳で写真と出会い、広告写真で著名な写真家に師事し、これまでにいくつかの大きな写真賞を受賞しています。28歳でフリーに転身し、一昨年には長男が誕生。さてこれから!という昨年、「多発性骨髄腫」と診断されます。「多発性骨髄腫」とは簡単に言えば、血液のガン。ステージは3。余命は3年。

昨年末に自身のブログで、幡野氏はガンであることを公表しました。

僕、ガンになりました。

父をガンで亡くしているので、自分もガンになるだろうとは思っていたけど34歳は早すぎる気がする。

背骨に腫瘍があり、腫瘍が骨を溶かすので激痛と神経を圧迫しているため下半身に軽い麻痺も起きている。
自殺も頭の片隅に考えるぐらいの激痛で夜も眠れず平常心を保てなかった。
緩和ケアの医療スタッフと強力な鎮痛剤を開発してくれた研究者のおかげで今は穏やかに暮らせている。

妻と結婚してどう控えめに言ってもかわいい息子に恵まれ、病状を知り涙してくれる友人がいる。
社会人とは思えないほど長期休暇を取って広く浅い趣味に没頭し、好きなことを仕事にした。
幸せの価値観は多様性があり人それぞれだけど、僕は自分の人生が幸せだと自信を持って言える。

だから死と直面していても後悔はなく、全て受け入れているので落ち着いている方だと思う。
それでもガンと診断された日は残される家族のことを想い一晩泣いた。

幡野広志のブログ「ガンになって気づくこと。

彼がブログで紡ぐ文章は、冷たく乾いた地面の上に咲く小さな草花のように、厳しい切実さの上に、さりげないユーモアがひっそりと紛れ込んでいます。目に見えたものやその時に感じたことを淡々と綴っているだけなのに、その場所の空気や本人の気持ちの移り変わりが、ありありと読み手に伝わってくる筆致は、往年の開高健のエッセイを彷彿とさせます。狩猟を趣味としていた幡野氏と、釣りを愛した開高氏とは、コモンセンスがあるのかもしれません。

そんな文章に併載されている写真は、当然幡野氏の本職なのでどれも圧倒的に美しいです。最後の狩猟で狩って捌いた小さなイノシシの頭部の写真や、我が子に伸ばした自分の腕を撮影した作品からは、「生」に対する彼自身のフィロソフィーのようなものが伝わってきます。フレームに収まった自分の遺影を撮った写真や、病院の窓から見える何気ない風景写真にも、それは映り込んでいます。

前述の「ほぼ日」のインタビューで、幡野氏はこんなことを言っています。

病気になってからいろんな人に会うんですけど、
みんなすごくいい人なんですよ。
病気になってから仲良くなった人たちって、
ほんとうに善意にあふれているし、
距離感が抜群にうまいんです。
それで、ぼくもうれしいから
どんどん好きになって、仲良くなるんですよね。
ただ、そうやって仲良くなればなるほど、
こわくなってくるんです。
きっとこの人たちは、
ぼくが死んだら悲しんでくれるのだろう。
もしかしたら、泣いてくれるのかもしれない。
でも、それはけっきょく
悲しみの種を蒔いているだけじゃないのか。
ぼくはこの人たちを好きになって、
仲良くなることによって、
悲しみを育てているんじゃないのか。

ほぼ日刊イトイ新聞『これからのぼくに、できること。

今日、誰かと一緒にいて、明日自分がそこにいない世界。自分がいない世界を、あらかじめ俯瞰できる場所。幡野氏は今きっとそんな場所にいて、そこから見える景色を写真に収めているのかも知れません。

今夏に初めての著書『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』が上梓されました。まだ幼い一人息子のために、幡野氏が伝えておきたいと思う人生のTIPSをまとめた一冊。この本のタイトルにある「ほしかった親」になるのは、「ほしかった」と書かれているように幡野氏のご両親ではなく、おそらく幡野氏自身でもなく、きっとこの本を読んで育つ一人息子さんなのでしょう。そう考えるとこの本は、壮大な育児書でもあるのです。

「死に方」を考えることは、つまり「生き方」を考えることでしょう。「生き方」を考えることは、つまり「自分」を見つめ直すことなのでしょう。今のボクがすべきことは、下着を切ったり、ガラクタに名札をつけたりすることではなく、「ぼくが子供のころ、なりたかった大人」になれているかどうかを、自問してみることかも知れません。

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