247日目。週末、アン・リー監督最新作『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』を観てきました。CGてんこ盛りのお子様向けファンタジック・アドベンチャーかと思いきや、深いヒューマニズムと哲学的寓話に満ちた物語で、ストーリーの中にぐいぐい連れ去られて行く圧倒的な牽引力に酔いました。さすがアン・リー監督ですな。物語の前半に語られる、主人公のどうでもよさそうな思い出話が、結末にかけて騙し絵のようにあぶり出されて行くストーリーテリングは見事です。CGは確かにスゴイし、3Dで魚がビュンビュン飛んでくるのも面白いのですが、この映画の心の臓はその迫力ある映像の裏側に隠されています。
これからご覧になられる方もいらっしゃるかと思いますので、ディテールは省きますが、この映画のストーリーは、全体がひとつの大きなメタファー(暗喩)になっているのだと思います。虎やハイエナ、海や救命ボート、『Thirsty』という単語、そしてパイ(π)という名前を持つ少年自身が、実は何かに例えられた存在として登場している気がするのです。それはまるで聖書の中に出てくるたとえ話のように、難解かつ意味深で、結局は受け手の取り方次第という不親切な種類のメタファーですが、だからこそ、解けそうで解けないなぞなぞを延々と考えてしまう時のように、頭の中に残り続けるのです。
お目覚めですか?手袋さん。
どうしてあなたがここにいるのか教えてさしあげましょう。
あなたはさらわれたのです。
それはもう、あなたにとっては神にも等しい存在によって。こらこら、無駄な抵抗はおよしなさい。
所詮中身を失ったあなたにできることといえば、
私をなぐさめる程度のものなのです。
無駄な抵抗はおよしなさい。
もう諦めてください。私は十五の頃から正しい教育を受けてきました。
ですから心配することはなにもありません。
私があなたの主(あるじ)になって差し上げます。
ほら、この上等の絹はあなたのために用意させました。
お願いです。諦めてください。そうです、私です。
いつもあなたの手袋を隠していたのは私です。
魔法の絨毯に乗ってあなたとどこまでも行きたかったのです。
亀の背中に乗ってもう二度と戻りたくなかったのです。
月から迎えが来てもあながのそばを離れるつもりはなかったのです。だから言って下さい。
一言命令をくださればそれでいいのです。
ですがその前に、ひとつだけお話をよろしいでしょうか?私は十五の頃から正しい教育を受けてきました。
ですがその前は、口もきけませんでした。
言葉はおろか、自分の行動を決定することもできませんでした。
思考はおろか、自分の体ひとつ動かすこともありませんでした。
なぜなら私には主(あるじ)がいたからです。
もちろんあなたは知らないでしょう。あなたの手袋が、許せなかった。
メタファーつながりで、今日はこの歌をご紹介。「やくしまるえつことd.v.d」の『アラビアンリップ』という歌というか朗読です。「相対性理論」のやくしまるえつこが、ドラムと映像のスリーピースユニット「d.v.d」とコラボしたアルバム『Blu-Day』に収録されております。
この詩の中には4人の登場人物がいます。「私」「手袋」「主」「あなた」。「私」は「あなた」から「手袋」をさらい、新しい「主」になろうとします。なぜなら「私」にはかつて「主」がいて、「あなた」の「手袋」が許せなかったから。うーん。意味不明。
でも、やくしまるえつこの、すべての言葉を意味ありげに変えてしまう奇特な美声が、この独白に何かしらのメタファーが隠されているかのように思わせます。例えば「手袋」を若さや子供、「主」を幸福や恋人に置き換えることはできないでしょうか? もしくは、次々と若い女を殺した猟奇的な王の褥(しとね)で、毎夜終わらない物語を紡いだ『アラビアン・ナイト(千夜一夜物語)』がベースだとすれば、「あなた」は王で、「手袋」は殺された女たちかもしれません。
良質なたとえ話ができる人は、人の心を掴むのがうまいと聞いたことがあります。その点では『ライフ・オブ・パイ』も『アラビアンリップ』も、たとえ話の裏側に隠されたものを見つけようと、受け手にストーリー以上の物語を与えてくれる、紛れもなく良質な作品です。解のない答えを探しつづけてしまうのが人間で、だからこそ私たちは誰もが「π(パイ)」なのです。