271日目。週末、マライア・キャリーさんのコンサートに行って参りました。稀代の歌姫も、御年44歳。日本の学年的にはボクと同級生の彼女ですが、貧しい出自からその歌声ひとつでスターダムにのしあがったシンデレラ・ストーリーや、ビートルズやプレスリーと並ぶ輝かしいレコードの樹立、二度の結婚と出産、低迷期から見事に返り咲いた復活劇などなど、とても同じ長さの時間を生きてきたとは思えないほど、波瀾万丈かつ七転八起的な人生を歩まれている彼女。「7オクターブの奇跡」と称された歌声を生で聴ける機会も、この先の人生でそうそうあるものではなかろうと、いそいそとコンサート会場へと出向きました。
例えば「Perfume」や「AKB48」のコンサートで「生歌じゃない!」と怒る人はあまりいないように、アイドルやアイコンと呼ばれる存在のステージは、歌声やパフォーマンスうんぬんより、その人の「ご本尊を拝する」的な意味合いが強いのではないかと思うのですが、そういう意味でマライアさんのコンサートも実に「ご利益」のありそうなステージでした。
ソファベッドに寝そべってゴロゴロと寝返りを打ちながら歌ってみたり、胸元をこれでもかと強調したドレスをはためかせながら、ガラの悪そうなダンサーに取り囲まれて悠然とステージを右往左往してみたり、どの立ち位置でも常に正面から風に吹かれていたり、1曲終わるごとにいなくなってしばらく出てこなかったり、冗談なのかマジなのか、実に「アイ・アム・マライア!」な演出。
もしかしたらご体調が優れなかったのかもしれませんが、全体の約7割がリップシンク。まあそれは仕方ないとしても、ところどころリップすらシンクしていない奔放さは、マライアさんだからこそ許されるのでしょう。バカにしてるんじゃなくて、本当に、疑う余地のない、誰もが認める圧倒的な実績を残したジニアスだからこそ、例えその歌声に翳りが見えたとしても、誰もが惜しみない拍手を送るのです。その存在自体が、まさに「ありがたい」ものなのですから。
ということで、本日はマライアさんを聴きながらお仕事。デビュー直後の元気ハツラツな歌声も素晴らしいですが、97年のアルバム『Butterfly』あたりからの、ハスキーでフェイクな歌い方もボクは好きです。その中でも特にボクのお気に入りは、98年にリリースしたこのデュエット曲。
当代きっての二人のディーバをキャスティングした超話題作にも関わらず、驚くほど地味で渋チンな楽曲です。R&Bというよりも、教会で歌われるゴスペルのワーシップソングのよう。でも、その年に離婚を経験し三十路を目前に控えたマライアと、ピークを過ぎて身を持ち崩していく直前のホイットニーが、無力な人生の中でそれでも待ち続ける奇跡をテーマにしたこの楽曲を、手を取り合いながら歌う姿は、シンプルに美しく、感動的です。
晩年ホイットニーもライブで声が出ずに、さんざんメディアに叩かれておりましたが、スポーツ選手にそれがあるように、歌手にだってピークがあるのは当たり前のこと。若くして亡くなるとやたら祭り上げられるのに比べ、枯れてもなお挑んでいこうとする現役のジニアスたちの姿が軽んじられるのは、切ない話だと思うのです。マライアさんがアンコールに生歌で披露してくれた『Hero』は、声がかすれ、高音が伸びず、往年の神々しさはありませんでしたが、それはそれで、地に足のついた、生々しい等身大のヒーローの姿が、確かにそこにあったのです。