268日目。「音楽を聴いていたら映像が浮かんできた」という話はそれほど珍しくないと思うのですが、逆に「映像を観ていたら音楽が聴こえた」という体験はどうでしょうか? 例えば、ロシアの作曲家・ムソルグスキーさんは、友人の画家の遺作展で見た10枚の絵画に喚起されて、あの有名な組曲『展覧会の絵』を作ったのだそう。ふーん。ボクにはその手の感性はインストールされていないようなのですが、唯一思い浮かぶのはロンドンのナショナル・ギャラリーに展示されているドイツ人画家・フリードリヒの『聖堂のある冬景色』。この絵を見ると、ボクは反射的に8日目に紹介したヤン・ガルバレクの『Officium』というアルバムを思い出します。たぶん「どっちも寒そうだし宗教っぽいよね!」という短絡的な連想か、初めてこの絵を鑑賞した時にウォークマンで『Officium』を聴いていただけだと思うのですが、ボクの中ではガルバレクさんの切ないサキソフォンが、いつもこの絵の中に流れています。
閑話休題。先日友人に誘われて、松任谷由実コンサートツアー「POP CLASSICO」の千秋楽に行って参りました。実はこのツアーが始まった昨年末にも、別の友人に誘われて同じステージを拝見しており、今回が二度目の鑑賞。構成は前回と同じでしたが、二度目の余裕か今回はディテールまでじっくり堪能できました。個人的には「雨のステイション〜NIGHT WALKER〜経る時」の悩殺メドレーに腰が砕け、アンコールの「卒業写真」の大合唱で破水いたしました。はぁはぁふぅ。
コンサートの中盤で、最新アルバム『POP CLASSICO』の最後に収められている『MODÈLE』という曲を、蓮の花の映像をバックにユーミンがしみじみと歌う場面があるのですが、この歌はそもそもモネの名画『睡蓮』をテーマにしているのだとか。知らずに聴いた時はなんのこっちゃ?と思いましたが、なるほど、モチーフを見ながら改めて聴き直すと、この歌の輪郭が浮き立ってきます。
靄に咲く 睡蓮のように
たゆたう世界 そこだけ止めて
待ち続ける 君のまなざし
私の全て 描ききるまで愛と呼べない 不確かな距離
でも手をのばせば ふれる程そばにいたい
泉に湧く 精霊のような
ゆらめく光 今受け止めてさざ波立ち はたと静まる
ふたりの胸の 音が重なる
時と呼べない うたかたのとき
でも いくどとなく 夢で逢う花になるわ愛と呼べない 不確かな距離
でも手をのばせば ふれる程そばにいたい
時と呼べない うたかたのとき
でも いくどとなく 夢で逢う花になるわ
基本的にはモデル(睡蓮)の視点ですが、絵描き(モネ)、絵画(モネの『睡蓮』)、そしてそれを見るもの(ユーミン)の、それぞれのポイント・オブ・ビューを複雑かつ幻想的にマージさせた、まさに「印象派」なラブソング。ご自身でも絵画を嗜んでいらっしゃったユーミンの、モネの『睡蓮』という作品に対する愛情が伝わってきます。
そもそもユーミンの歌こそ「音楽を聴いていたら映像が浮かんできた」体験をさせてくれる最たる例だと思うのですが、それはたぶん彼女が「映像を観ていたら音楽が聴こえる」才能を持っている人だからこそなのでしょう。ムソルグスキーにしろユーミンにしろ、その能力は万人に与えられるものではない、特別なギフトなのかも知れません。