296日目。四十路も後半になると、どうも手元にピンが合わなくなったり、あるはずのない場所に長い白髪を発見したり、走れば間に合う電車をすぐあきらめたりと、「俺って年食ったなぁ!」と思うことが日々多々あります。仕事帰りの電車の中、目の前のシルバーシートがぽっかり空いていたりすると、昔なら絶対座らなかったのに、吸い込まれるように腰を下ろして、ため息ひとつ。そういえば向田邦子氏のエッセイに、「あ、いま老けた」と思う瞬間がある、という一文がございました。
一日の仕事を終えて、深夜テレビを見ている時、気がつくと、じゅうたんにペタンと坐り、背中を丸め、あごを前に出して、老婆の姿勢をしているのです。「あ、いま老けた……」と思います。
(「若々しい女について」より抜粋)
昔読んだ時にはよく分かりませんでしたが、今なら沁み入るほど理解できます。夜の地下鉄のシルバーシートに座って、深いため息をつくたびに、ボクは確実に「老けて」いるのだと思います。
自分の「老い」を感じるようになって、最近よく考えるのが、「若さ」とは一体なんだろうということ。お肌がピチピチしていること? 体力や精力がムンムンしていること? 将来の夢や希望を語れること?
例えばボクが、アンチエイジングにお金をかけてお肌がツルツルになっても、20代に負けないように週3ジム通いで体力作りに励んでも、事業での一攫千金を熱く夢見ても、それはイコール「若さ」にはならないでしょう。一方で、20代なのにやたら老け込んでいる人もいるし、還暦過ぎてまだまだ若々しい方もいる。じゃあ「若さ」って?
昨日リリースされた「竹原ピストル」の9枚目のアルバム『PEACE OUT』に収録され、テレビ東京のドラマ『バイプレーヤーズ』の主題歌にもなった『Forever Young』。この歌に関するエピソードとして、ピストル君がインタビューでこんなことを語っていました。
去年末に40歳になったんですけど、そのとき「若くあろうとするな、老けるぞ!」って思ったんです。例えば、「何年前ならこういう歌い方ができたのに」とか「あの頃の情熱をもう一度」みたいに過去の自分を引き合いに出しちゃうと、どうしてもしんどくなるし、歌が錆びていくような気がしたんです。だったら、今迎えてる時間の中で新しいもの……満ち満ちた若葉を芽吹かせたほうが絶対いいと思ったんで。あの頃のようにっていうのは不可能だし、何も生まれない気がして。若さに執着しないことが若さなんじゃないかなって思うんです。
ナタリー音楽「竹原ピストル 不惑にして“惑えず” 歌うたいの覚悟」
「若さに執着しないことが若さ」。さすがピストル君。100%アグリーです。美人さんは、自分が美人だと気づいていないうちが一番キレイっていう話とちょっと似てますが(そうか?)、本当の若さを持つ人は「若さ」を追い求めたりしないし、そもそも年齢なんて気にしないでしょう。それこそがきっと「若さ」を保つ秘訣なのです。
古今東西「若さ」を信奉するのは人の常だし、ある意味人間の本能のようなものだとも思います。でも、それを追い求めるがゆえに、今の自分を見失ってしまうのは、もったいないことかもしれません。今日の自分は、若かった時代を経た集大成であり、これから先の人生で、一番「若い」自分のはずなのです。
あの頃の君にあって
今の君にないものなんてないさ
冒頭の向田邦子氏のエッセイでは、こんなことも綴られています。
先のことをくよくよしたところで、なるようにしかならないのです。餓死した死骸はころがっていないのですから、みんな何とか生きてゆけるのです。そう考える度胸。これも若々しくあるために必要なのではないでしょうか。
アンチエイジングもジム通いも、楽しんでやるならばもちろん結構。ボトックスもヒアルロン酸も、自分が良ければ上等です。でも、今のボクに必要なのは、今この時の自分にできる最良はなにかと自分に問うこと、そしてどんなに疲れていてもシルバーシートには絶対に座らないという矜持なのかもしれません。