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【無人島258日目】Joni Mitchell 『A Case Of You』

投稿日:2013年10月10日 更新日:

258日目。我が家にはトイレと脱衣所が一緒になった、いわゆるサニタリールーム(ってほどシャレたものではない)があるのですが、最近その部屋の壁の柔いところに穴を空けてしまい、みっともないので、シールを貼ってごまかすことにしました。で、先週末アルファベットのレタリング・ウォールステッカーを購入。早速文字を貼ろうと思ったのですが、はてさて一体なんて言葉にいたしましょうか。便器に腰掛けた正面の壁なので、あんまり金言・格言的な偉そうな言葉にしてしまうと、出るモノも出なくなってしまいます。かといって、いい歳したチョンガーひとり暮らしのトイレに、LOVEだのPEACEだの書いてあってもキモチ悪いでしょう。あまり意味がなさそうで、でもボク的に好きなフレーズってなんだろう。トイレでうんうん一思案。

揚げ句、こんな風になりました。

Constantly in the darkness,
Where’s that at?
If you want me, I’ll be in the bar.

ジョニ・ミッチェルが71年にリリースした不朽の名盤『Blue』に収録されている『A Case Of You』からの引用です。直訳すると「暗闇にずっといるって、それってどこよ? 私に会いたいならバーにいるけどね!」です。ここだけ読むと意味不明。だから余計なことを考えずに用が足せそうだし、ジョニ・ミッチェルの歌の中ではボクはこの曲が一番好きです。

この歌に限らずですが、ジョニ・ミッチェルの紡ぐ歌詞には、ダイレクトな「I Love You」や「I Miss You」などという言葉がほとんど出てきません。愛しさや寂しさを、その言葉を使わずに表現することに長けたシンガー・ソングライターで、この人の歌を聴いていると、そもそも表現者とはこういう人のことを言うのだなと膝を打つ思いがします。この『A Case Of You』も、何気ない風景や恋人との会話を綴りながら、途方もない「愛情」と「孤独」をテーマにしたラブソングです。

有名な歌なので多くのミュージシャンがカバーしていますが、02年にジョニ・ミッチェルと同じカナダ出身のジャズ・シンガー、ダイアナ・クラールが発表したライブ盤『Live In Paris』に収録されたカバーは秀逸です。ダイアナさんのハスキーな歌声と抑制されたピアノプレイに、この歌の持つ「孤独」が匂い立つようです。

ロンドン出身のミュージシャン、ジェイムス・ブレイクが2011年にカバーしたバージョンもステキです。まるで絵画を見ているかのように、主人公の女性の「愛情」が浮き上がってきます。

最後に254日目にも紹介した寺尾紗穂が日本語に訳して歌ったバージョンを聴いていただきましょう。言葉数の多い英語詞をギリギリまで削ぎ落し、それでも原曲の持つ繊細なニュアンスを確実に継承しきった訳詞が見事です。

ふたりの愛が壊れる少し前
あなたは言った 
ぼくは変わらない
北極星が動かぬように
暗闇の中 変わらぬのなら
私はバーにでも飲みに行くわ
テレビの光でコースターの裏に
カナダの地図とあなたを描いた

苦くて甘い
あなたはワインで
飲み干したって 
わたしひとりで立てるわ
立てるわ

わたしは寂しいひとりの絵描き
絵の具箱にひっそり暮らし
悪に怯え些細なことを恐れていた
愛は魂に触れることさ
あなたが言って その通りだった

苦くて甘い 
あなたはワインで
両手いっぱい飲み干しても
立てるわ 
立てるわ

あなたのしたこと あなたの醜さを
みんな知ってる人に会ったわ
できるなら彼のそばにいて
でも深く傷つくことを
覚悟してゆきなさい

でもあなたはすでに
わたしを流れる
苦くて甘い
聖なるワインで
真っ赤なワインで

「オレって北極星みたいじゃね?」などとほざくナルシストな彼氏に向かって、「バッカみたい。あたしはバーにいるから」と言い放ち、そのバーカウンターで故郷の地図と彼氏の似顔絵を、コースターの裏側に落書きする。ジョニ・ミッチェルの歌には、何気ない言葉やどうでもいいような行動の下にも、ワインのように濃く赤い人間の血が流れていることを教えてくれます。作品の形態はまったく違いますが、向田邦子の描く世界に近い。ボクはこれから毎日トイレに腰掛けながら、そんな真の表現者の言葉を目にできるワケです。何得。

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