251日目。五月の雨は、ひと降りごとに夏の匂いが濃くなっていくような気がします。みなさまはいかがお過ごしでしょうか。すっかりさっぱりブログをさぼっておりましたが、ボクは元気です。四月から弊社にも新入社員が入り、あまり絡みもないのですが、歓迎会などでおそるおそる親御さんのご年齢を聞いてみたりすると、ボクと同学年だとの回答に軽度の発作を起こしたりしていました。ちょっと前までは「10歳も違うの!?」「干支が一緒!?」あたりでオロオロしておりましたが、20歳以上も違うとなると、それはもう同じ土俵に乗せていただくこと自体が間違っているような、落ち着かない気持ちになります。そしてそれは会社だけでの話ではなく、世間一般の中で最近たびたび遭遇する感情だったりします。
例えば、今年1月に発表された第148回直木賞の受賞者である「朝井リョウ」氏は、 1989年生まれ。ちょうどボク、いや、ワシと20歳の開きがございます。純文学の新人を対象とした芥川賞ならいざ知らず、直木賞受賞作家と言えば、間違ってもワシよりは年上の大作家様というイメージでしたが、そうですか、そうですか。
モヤモヤした気持ちを抱えつつ、受賞作『何者』も拝読させていただきましたが、昨今の就職活動事情と、ネット社会(主にTwitter)の暗部を軸としたミステリー(だと思いました)で、もちろん卓越した表現力とストーリーテリングで作品としてはとても面白かったのですが、なるほどこういう主題の小説が直木賞を受賞する時代になったのかと、ちょっと目からウンコが落ちる心地でした。そうですか、そうですか。
続けて読んだのが、文芸評論家「坂上秋成」氏の『惜日のアリス』。坂上氏は1984年生まれで、ポップカルチャーに精通し、自身でミニコミ誌などを編集されているサブカル界では有名なお方なのだそうです。まずは氏の処女作となるこの小説のPV(!?)をご覧ください。
小説にPVをつけるというその発想自体に、すでに目ウン(←造語)なのですが、小説自体も今までワシが読んだことのないような、ネクストカミングを感じさせる独特の世界観でした。
主人公は小説を書くのが好きな、ちょっと風変わりな女の子。バイト先で知り合った自称・詩人の男性と恋に落ちますが、やがて彼は「芸術のために」という言葉を残し、彼女の前から消えていきます。15年後、40代になった主人公のもとに、再び彼が現れますが、その時主人公には女性の恋人とその連れ子である娘がいます。ライトノベル的なおとぎ話に満ちた前半と、守るべき家族を持った一人の女性の焦燥と苦悩を描いた後半が、徐々にクロスオーバーしていく様子を描いた、リリカルである意味とても実験的な純文学になっております。
正直ボク、いや、ワシは100%この小説が理解できたとは思えないし、それはやはり年齢的な理由もかなり大きいと思うのですが、多分ワシが学生時代に村上春樹を初めて読んだ時に感じた「なんだかわかんないけど、カッケー!」みたいな感覚が、この小説を読んだ現代のティーンエイジャーにももたらされるような気がします。時代は徐々に移り変わっていくのではなく、こういうアウトスタンディングの存在で、ググッと変動していくものなのでしょう。そういう風に考えれば弊社の新入社員とも、なにかしらのコモンセンスを見つけられるはずだし、これからも同じ土俵に乗り続けたいと願うならば、見つける努力をするべきはワシのほうなのでしょう。そうですか、そうですか。