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【無人島170日目】ポール・オースター “最後の物たちの国で”

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最後の物たちの国で (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

最後の物たちの国で (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

  • 作者: ポール・オースター
  • 出版社/メーカー: 白水社
  • 発売日: 1999/07
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

170日目。小学生の頃に国語の教科書で読んだお話です。日本で働いているアメリカ人の青年が、久しぶりに故郷に帰ることになります。彼は帰郷したらぜひやりたいと思っていることがありました。それは実家の子供部屋の壁紙を剥ぐことです。子供の頃、部屋にカラフルな絵柄の壁紙を貼っていた時期があって、子供ながらにとてもきれいだと思っていました。なぜか日本で過ごす間にその壁紙のことを思い出し、ぜひもう一度見てみたいと思ったのです。空港に迎えにきてくれた妹にその話をすると、妹も覚えているようです。「あのキレイな色の壁紙ね。子供たちが遊んでいる絵で、男の子が青いシャツを着ているやつでしょ?」「いや、男の子のシャツはオレンジだったぜ?」。そんな会話をしながら家に戻り、早速ふたりで子供部屋の壁紙を1枚ずつ剥がしていくと、やがてその絵が現れます。しかし男の子のシャツは青でもオレンジでもありません。ましてやカラフルな絵などではなく、その壁紙自体が「影絵」だったのでした。

そもそもアメリカ人は、そんなに壁紙を何枚も重ね貼りしとんのか?という疑問はともかくとして、ボクがこのストーリーでとても好きだったのは、最後のくだりです。再び日本に戻ってきたその青年は、語り手である友人にその話をした後にこんなふうに言うんです。「でもね、僕らが1枚ずつ剥がしていってあの影絵を見るまでは、たくさんの壁紙の下で、あの絵には色がついていたはずなんだ」。
確か小4か小5だったのですが、子供ながらに「おもろい話やなあ」と思っていました。ボク的にそれは、「記憶の中では色がついていた」というセンチメンタルな話ではなく、実際にその絵は発見されるまで、何枚もの壁紙たちに埋もれながら、確実にビビットな色が付いていたのだという、スーパーナチュラル的なストーリーでした。そっちのほうが余程、この青年の気持ちに近いような気がしたのです。
で、今日は何の話なのかというと、ポール・オースター著の『最後の物たちの国で』という本のレビューです。この小説は87年に発表された「大人の寓話」で、主人公の女性が、失踪した兄を探しに乗りこんだ国で体験する、数々の悪夢のような出来事を綴った作品。その国は、人々が住む場所を失い、食べ物を求めてお互いを傷つけ合い、盗みや殺人が犯罪ですらなくなってしまった、極限状態の世界。あらゆるものは消えてゆき、やがて記憶からも消え去り、すべてが無へ向かう中、最後まで自分の手元に残る物はなにか? 物語の冒頭で主人公・アンナがその国を語る台詞を、そのまま転載します。
「あなたにわかってもらえるとは思っていません。あなたはこのいっさいを見たことがないのだし、想像のしようもないでしょう。これらは最後の物たちです。ある日、そこにあった家が、翌日にはなくなっています。昨日歩いた道が今日はもうありません。天気までたえまなく変わります。晴れの日のつぎに雨の日が来て、雪の次に霧の日が来て、暖かいかと思えば肌寒くなり、風が吹いたあとにぴたっと止み、何日も厳しい冷え込みが続いた末に、今日は冬のさなかだというのに快よい午後の陽光が広がって、セーターで済むくらい暖かです。この街に住んでいると、何ごとも当然とは受け取らなくなります。一瞬、目を閉じたり、うしろを向いて別の物を見ただけで、たったいま目の前にあった物がもうなくなっているのです。何ものも続きはしません。そう、心のなかの思いさえも。それを探して時間を無駄にしてはいけません。いったんなくなった物は、もうそれでおしまいなのです」。
これを寓話だとすれば、いろいろな解釈の仕方があります。ボクたちの人生の中で確かな物などなにもない、という話でもあるし、実際に殺戮や飢餓が蔓延している国は現在でも確実にあるのです。著者であるポール・オースターは「この話は近未来ではない。現在実際に起こっていることをモチーフにしている」と語っています。
衝撃的なストーリーなので、ネタバレにならんようにこれ以上の説明は避けますが、ボクはこの話は多くの壁紙の下に隠された影絵に似ていると思いました。ボクたちの今いる世界は、本当にボクたちが思っているような世界か。ボクたちは、絶えず何かを失い、そして何を失ったかすらもう思い出せないのではないか。アンナが飛び込んだ世界は、意外とボクたちの暮らす世界そのものなのではないか。そんなことを夢想してしまいます。薦めてくれた友人に感謝。ちょっと目というよりは脳ミソからうろこが落ちる感覚を味わいました。

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