120日目。人との出会いを縁(ゆかり)と呼びますが、人以外のモノや芸術や風景なども、ボクは縁だと思っています。出会うモノよりも出会わないモノのほうが遥かに多いこの世界の中で、ボクの前に現れたすべてのモノは、やはり何かしらの「意味」を持っているような気がします。宇多田ヒカルちゃんが昔、「何度も姿を変えて〜わたしの前に舞い降りたあなたを〜今日は探してる〜」というフレーズを歌ってましたが、ホントそんな感じで、ボクの周りにあるボクの好きなモノは、ホントは全部ひとつのモノで、姿を変えて何度もボクの前に現れてくれてるんじゃねえのかな?と思ったりします。それが縁っちゅうもんなんじゃないでしょうか? 違う?
って、なんか意味深な前振り。これで、新興宗教の洗脳CDとかを紹介しはじめるとホンモノなわけですが、フツーに今日はJ-POP。先日テレビでMTVをボーッと観ていたら、ボクの心のマイドウター、蒼井優ちゃんが出ていて、「最近のお気に入りはこのPVですー」と紹介していたのが、高野健一の「三陸産のウニに涙したい」。すごいタイトルだなおいとか思いつつ、試聴。気軽に普段使いのYOUTUBEってことで。(←わかんねえか)
やべえ。かわいいじゃねえか。さすがマイドウター、いいセンスしとるな。高野健一って人ははじめて知りましたが、幸せな歌を、ホントに幸せそうな顔して歌うところが好印象。早速ネットで検索したところ、最新のシングルとして、「さくら」っていう曲が人気のようです。「さくら」って、お前今どきこれまたすごいタイトルつけやがんな。逆の意味で、その度胸が新鮮だわとかなんとか思いつつ、またまた試聴。ちなみにこのPVはオリジナルではなく、ファンの自主制作(?)のようです。
どんだけ〜! すごいインパクトです。「死別」をモチーフにした歌は、古今東西たくさんありますが、こんなキャッチーでエモーショナルな曲も珍しい。しかも、失ってしまうのが、愛犬もしくは幼い愛娘を想像させるこの詞世界は、ほぼ反則に近いやろ。「いぬのえいが」の「ねぇ、マリモ」なみの反則です。
良くも悪くも、「高野健一」がすごい気になってしまい、早速CDを買ってきました。今年8月にリリースされたファースト・アルバム「Oh!Yeah!」。全12曲すべてが、優しすぎるほどのセンチメンタリズムをテーマにしていて、辛党のボクには正直アマアマなのですが、それでもじっと聴き入ってしまうのは、言葉選びのセンスの高さと、メロディラインの美しさ、そして熟れたアレンジのせいでしょうか。槇原敬之や小田和正の才能に近いし、しかも確実なオリジナリティがあります。
高野健一は、71年生まれのシンガーソングライター。以前は「pal@pop」という名義で、レーベルプロデューサーやサウンドクリエイターとしての活躍していた人で、03年ごろから「高野健一」名義で詩集やミニアルバムをリリース。「三陸産のウニに涙したい」は、昨年10月の有線問い合わせランキングで1位に、「さくら」は、今年3月〜4月にかけての問い合わせランキングでまたもや1位となり、話題になりました。
つうことで気になるついでに、昨夜はなんと高野健一のワンマンライブまで観てきました。スゴいなオレ。観客は予想通り、約7割が女性。ステージ上の高野氏は「これでもか!」ってくらいMCでスベってました(笑)。まあ、歌聴きにきてるんで、いいんですけどね。
で、彼がライブの最後に歌ったのが、「ゆかり(縁)」という曲。ここでようやく冒頭につながるワケですが、この人がどういう景色を歌いたいのかっていうのが、この曲にはよく表れているような気がしたのです。
久しぶりに夢を見た。
生まれたころに住んでた家。
そこにはなぜか昔の友達と、
今の友達、そして君がいた。
父のピアノと母の歌と、
はしゃぐ彼らと微笑む君。
初めてなのに懐かしいその光景。
「すべて失いたくない」と思った。
スベリまくりながら語っていたことによると、高野氏は自分の曲を聴きながら泣いてしまうのだとか。コワッ!とも思いますが、でもそのくらい作品と自分を切り離して見れて、ちゃんと客観的に感動できるものを作れないと、芸術家はやってて面白くないと思います。
ライブ終了後、詩集まで購入。もうすっかりファン。これもマイドウターが結んでくれた縁というモンでしょう。ありがとう、蒼井優。大好きです、ってなんだこのレビュー。