118日目。横綱・朝青龍がモンゴルに帰る帰らんでゴタゴタしております。特に熱心な相撲ファンではないので、詳しい事情はよく分からんのですが、このゴタゴタにはなんか興味あるのです。表層的には「伝統と仕来りと体裁ばかり気にする老獪な日本相撲協会」VS.「強ければいいだろ?私生活まで拘束すんなよ!と反抗する礼儀知らずの外国人横綱」という図なんですが、見方を変えるといろいろな問題のエッセンスを含んでいるような。日本の国技とされる相撲というスポーツのあり方。海外で働く際の異文化間コミュニケーションの取り方。精神的ストレスを訴える者に、どこまで責任を追及していいのか。そもそもスポーツにおいて「礼儀や伝統」と「強さと実力」は、どちらを優先すべきか、などなど、いろいろなテーマを孕んでいるような気がするのです。
名作『翼はいつまでも』の川上健一が、6年ぶりに書き下ろした『渾身』は、島根県隠岐島に今も伝わる、隠岐古典相撲を題材に、家族や地域との絆を描いた物語。256ページもあるのに、描かれているのはたった1日の、しかも最後の大一番の取り組みのみという、ある意味もの凄く凝縮された贅沢な長編小説です。
主人公・多美子は後妻に入ったばかり。夫・英明には先妻との子である5歳の娘・琴世がいます。琴世は多美子に懐いてはいますが、まだ「お母ちゃん」とは呼んでくれません。そんなある日、島の伝統の古典相撲で、英明が大トリを務める力士に任命されました。英明はそんな大役に自分が選ばれたことに、驚きます。実は英明には、後ろめたい過去があるのです……。ってな話を、英明の相撲の取り組みの実況中継と絡めながら、家族の絆と名勝負の一部始終を、同時進行で描いていく秀作です。
メインはもちろん英明の試合の行方にあるのですが、「本当の勝ちとはなにか」というのがこの物語の本題です。汚い手を使って奪っても勝ちは勝ちなのか? 真面目に一途に取り組んでも勝負に負けたら意味がないのか? 多美子と琴世は、愛する者の相撲を通じて、人生における本当の意味での「勝つ」ということを学んで行きます。「お父さんはもう勝ったの」。まだ勝負のついていないシーンで多美子が琴世にもらすこの台詞が、この物語のテーマにもなっています。それは、言葉にするのは難しいですが、あえて言うならば、「競い合うことでしか生まれない、共生への憧憬」ということでしょうか。
そもそもスポーツとは何か? 競技者と観戦者、どちらのものなのか? なんであんなに非生産的なものに、誰もが熱中するのか? 私たちはスポーツに何を求めているのか? そういうシンプルながら答えのない疑問に、この小説はひとつのアンサーを提示しています。伝統や仕来りも大事でしょう。強さも勝利も大切でしょう。でも、それだけではスポーツは熱狂には値しないのですよ、朝青龍くん。もちろん、親方もね。