114日目。今のボクは、突然今のボクになったのではなく、過去の積み重ねによって今のボクになったのです。ってなんの話だ? 自分でもよくわからんのですが、誰かと出会う時、それはその人の一生のうちのほんの一瞬であり、そこに見えるその人は、過去の残像のようなものかもしれんのです。例えるなら、盲目の男が生まれて初めて象の体に触れた時のように、その人に関して理解したり知り得る範囲は実に少ない。過去のない人はいないし、その過去はすでに過去なのです。当たり前のことなのかもしれませんが、それは「人はいつか死ぬ」という真理にも似た、どうしようもなく残酷で、切ない事実だと思います。この本を読んで、ボクはそういうことを考えました。
サラ・ウォーターズ。66年生まれのイギリスの女流作家です。98年に出版した処女作『TIPPING THE VELVET』で注目を浴び、99年に2作目『半身』で、イギリスの多くの文学賞を受賞。02年の3作目『荊の城 』では、英国推理作家協会のエリス・ピーターズ賞(歴史ミステリ部門賞)を受賞し、イギリスの最も権威ある文学賞であるブッカー賞の最終候補にものぼりました。日本でも『半身』と『荊の城 』で、「このミステリーがすごい!」の海外部門1位を04年と05年の2年連続で受賞。たった3作で「世界で最も次回作が注目される作家」のひとりとなった、気鋭の小説家です。
そして今年、いよいよ待望の4作目『夜愁』が上梓されました。『半身』と『荊の城 』の共通点は、ヴィクトリア朝時代のロンドンを舞台にしていることと、同性愛(レズビアン)をテーマにしているところで、今回の『夜愁』でも、時代設定こそ第2次世界大戦時のロンドンに移ったものの、バリバリのレズビアン小説であることには変わりありません。だからちょっと抵抗のある人もいるかもしれませんが、読んでいるうちにそんなことはちっとも気にならなくなるらい、この小説はおもろいです。
3章に分かれていて、物語は戦後の1947年から始まり、44年、41年と時代を遡行していきます。だから最初の章では、読み手には何も説明されないまま、ストーリーは進みます。男装の麗人であるケイが、なぜ孤独に街を徘徊しているのか。ジュリアの恋人であるヘレンは、なぜこんなにも嫉妬深いのか。若く健康なダンカンが、なぜ家族から離れ障害者が雇用されるような工場で働いているのか。ダンカンの姉であるヴィヴは、なぜ映画館で見かけたケイに無言で指輪を渡しにきたのか。そうした登場人物の謎めいた行為の理由が、44年、41年の章に進むに従って、次第に明らかになっていきます。
正直、暗いし、長いし、本を読み慣れていない人には、なかなかどうして読了するのが難しい作品かもしれません。特に最初の章は、因果の「果」から書かれているので、意味分かんないし、途中でボクも何度か挫折しそうになりました。でも最初はタラタラ読んでいたのが、次第にのめり込みはじめ、もう最後は本が置けなくなる!っちゅう感覚をひさびさに味わいました。この本を読んでいたせいで、降りる駅を乗り越したことも1度ではありません。
「こんなにも無垢なものが、これほどの混沌の中から現れただなんて、とても、とても、信じられない」
この美しくも切ない最後の1行。こんなにも幸せなエンディングなのに、ハッピーエンドではないという残酷な矛盾に、サラ・ウォーターズの天賦を感じます。久しぶりにまともなレビューやな。ま、たまにはええやろ。