51日目。甥っ子が9歳の誕生日を迎えました。ヤツが生まれてから、もう9年経ったのかと思うと軽くクラッとしますが、まだヤツは人生を9年しか生きていないのかと思うと、さらにクラッとします。9歳のガキって、なにを考えてるんだろう? なんで突然狂ったようにジャンプしたり歌い出したりするんだろう? なんで誰も聞いてない時でもペラペラ喋り続けるんだろう? なんでものすごい年上のボクに平気でタメ口なんだろう? なんでポケモンのキャラの名前を全部暗記できるほどの記憶力があるんだろう? ボクも9歳の時があったはずなのに、なんで思い出せないんだろう? 子供って不思議。
昨年の誕生日には、本屋に連れて行って「好きな本を3冊買ってやるから、自分で選びな」と指示したら、「ポケモン」と「星のカービィ」と「デュエル・マスターズ」の単行本を3冊抱きしめながら、ホクホク顔で戻ってきたコロコロコミック中毒のマイ・ネフュー。安くついたし、喜んでもらえたのでいいのですが、さすがに「コイツどうよ?」と思ったので、今年はボクの推薦本をプレゼントすることに。
でもなあ、マジ9歳児の思考&嗜好は分からんしなあ。どんな本買うべ? オレが9歳の時に読んで面白かった本ってなんだろ? そもそも本とか読んでたのか? でも少なくともマンガにはハマってなかったな。一人で絵とか描いてた。暗っ。友達いなかったのか、オレ?
なんて少年時代を回顧しつつ、本屋のキッズコーナーへ。本棚を眺めながらブラブラしてたら、見覚えのあるタイトルを発見。「車のいろは空のいろ」。あ! 持ってた、コレ。しかもスゴイ好きで、何度も読み返してたぞ。おおお。なつかしー。
あまんきみこ著の「車のいろは空のいろ」の初版は1972年。収録作品の「白いぼうし」が小学校の国語教科書に採用されたので、ご存知の方も多いかもしれません。タクシー運ちゃんである主人公「松井さん」と、後部座席に乗ったちょっと風変わりなお客さんとのファンタジーを描いたこの短編集は、今考えるとボクが生まれて初めて出会った「小説」でした。
思わず立ち読み。「山ねこ、おことわり」や「すずかけ通り三丁目」は、書き出しの何行かを読んだだけで、後に続くストーリーが頭の中に湧き上がってくる感じでした。松井さんの台詞をまんま覚えていたり、今でも自分の言葉として使っているフレーズを、文章の中に発見したり、大げさに言えば、ボクの中の何パーセントかは「車のいろは空のいろ」で作られていたことに、改めて気付かされました。この年になっても面白いと思わせる筆致。不器用ながらも心優しい「松井さん」の描写。初めて夢中になって読んだ本が、こんな上質な小説でオレは幸せだったなあと思った。
本って、書いた人の思考そのものだから、本との出会いは、誰かとの出会いに近い。その人の年齢や嗜好やその時の心の状態に因って、同じ本でも大きな影響力があったり、まったく意味を持たないものだったりする。「車のいろは空のいろ」は、今の甥っ子くらいの年のころ、一人で絵を描いたりするのが好きな、ちょっとボンヤリ系ボーイだったボクが、ちょうどいいタイミングで、会うべくして出会った本だったんでしょう。だからこそこんなにも刷り込まれているし、この本からもらったものは、DNAのように今もボクの中に組み込まれているはずです。
つうことで、迷わずこの本を甥っ子にプレゼントしました。おじいちゃんからプレゼントされたニンテンドーDSの新しいゲームに気を取られて、全然興味ナシって態度にかなりムカつきました。おい、そこのクソガキ! ゲームもいいけど、本も読め! ほんでいつか、誰からもらったかなんて忘れてもいいから、この本に出会えて良かったなーと思える本を、ちゃんと見つけるんだぜ、マイ・ネフュー。