38日目。
触れるまでもなく、先の事が見えてしまうなんて、
そんなつまらない恋を、ずいぶん続けて来たね。
胸の痛み治さないで、別の傷で隠すけど、
簡単にばれてしまう。どこからか流れてしまう。
手を繋ぐくらいでいい。並んで歩くくらいでいい。
それすら危ういから、大切な人は友達くらいでいい。
忘れた頃にもう一度会えたら、仲良くしてね。
手を繋ぐくらいでいい。並んで歩くくらいでいい。
それすら危ういから、大切な人は友達くらいでいい。
友達くらいが、丁度いい。
この詩は中村中(なかむら・あたる)という21歳の女性シンガーソングライターが、今月リリースしたセカンド・シングル「友達の詩」の歌詞です。せつない内容ですな。報われないことを前提とした、「恋」という感情のまとめ方。「わかる、わかる」って思う人も少なくないかもしれません。
でもこの詩を書いた中村中が、「性同一性障害者」だと知ったら、またちょっと解釈が変わってくるかもしれません。戸籍上は「男性」の彼女が、今まで経験した恋から学んだ「諦念」を描いたものだとすると、「せつない」というレベルの話ではないのでしょう。
今年6月「汚れた下着」というシングルでデビューした彼女。デビュー当初は、「そのコト」は伏せられていたし、マジ美人で、若くて、歌が上手くて、センスのあるソングライターなので、そんな「背景」を抱えた人だとは露ほども思いませんでした。どうやら本人も、できれば知られないで音楽活動を続けたいと思っていたようですが、結局先週、自身のホームページでカミングアウトしました。
一昨日、「J-WAVE」の番組に彼女がゲストで出演していて、「なぜカミングアウトしたのか」「なぜ今までしなかったのか」というようなぶしつけとも思える質問を受けていましたが、彼女は結構さばけたテンションで、「音楽で勝負したかったから、言うつもりはなかった。でもずっとウソを突き通すのもどうかと思った。自分に正直になれて、今はうれしい」などと答えていました。言葉少ななインタビューよりも、その後にピアノの弾き語りで歌ったこの「友達の詩」の静謐さに、ボクはグッサリ胸を刺されました。
手を繋ぐくらいでいい。並んで歩くくらいでいい。
それすら危ういから、大切な人は友達くらいでいい。
確かに「性同一性障害者」の歌として聴くと、いろいろ深読みもできますが、この感情は性別に関係なく、普遍的なモンだよな、と思った。容姿、性別、年齢、国籍、名前……。結局同じ人なんてどこにもいないんだし、障害だってある意味、「個性」のひとつに過ぎなくね? ボクらはそれらを、分ち合うことはできないかも知れんが、せめて一緒に並んで歩いていけたらいいんじゃねえの? そういう歌にも聴こえたりします。